カラカラ

「遅刻だ、遅刻!」
 宇宙戦艦さきいかラムネの若き艦長バドは大急ぎでブリッジに駆け上がって来た。若いのは彼だけで、他は皺の深い初老のベテランクルーばかりである。なぜ彼だけなのかはあとで説明しよう。
 いまは時間がない。
「各員大至急ワープ準備!」
「艦長、大至急は無理です。そもそもワープというものはな……」
 方々から老人たちの苦言が聞こえるが、それを一蹴してこそ艦長の実行力だ。
「俺ができると言ったらできるんだよ! やれ!!」
 渋々了承する老人たち。エンジン出力全開、重力場展開、ワープ航路確定。それらの手順はさすがに手慣れていて間違いがない。
「よし、ワープ実行!」
 急加速をつけたまま一気にワープ航路に突入する。こんな無茶が許されるのも、この艦長ゆえだ。いや、まだそれを語るのは早い。
「あっ」
 とオペレーターのおばちゃんが声をあげたのだ。なにに気付いたのか言葉が思いつかないうちに、事件は起こった。
 ゴォォォォォン!!!!
 巨大な鐘が鳴ったかという音と衝撃が船尾の先まで響いていった。
 ブリッジの正面に、見知らぬ戦艦が映っていた。
「……やっちまった……」
 ワープ直後の正面衝突。
 きちんと出口の重力場計算を行っていれば避けられる失敗だ。要は前方不注意というやつである。
 相手は小型戦艦だったので、さきいかラムネには損傷がほとんどなかった。一方、相手は衝撃で船腹を出してあられもない姿だ。右翼の一部が残念な方向に折れている。
「ちょっと、どこ見てんの!?」
 相手の戦艦から、まず音声のみの通信が入り、艦の姿勢を正した後で、ブリッジの画像つき通信に切り替わった。
「そこのバカ戦艦! あんた目隠しでもしてたわけ!? どの計器見たらこんなとこに飛んでくんだよ、マヌケ! 死ね!」
 好き勝手を罵るのは若い少女だった。ちょうど艦長と見た目は同年代くらいだ。ぴったりと首から下を覆う宇宙服が、彼女の魅力的なボディラインを引きたてている。首から上はちょっと幼いが、金属のように美しい光沢の銀髪を短くカットして少年のような印象だ。いかにも気の強そうな瞳は大きくて少し吊っている。
 どんぴしゃだ。
 艦長が口走ったのは謝罪や弁解ではなく、彼女が理想の女性像であるということだった。クルー全員がハッと艦長を見やる。バドはキュッと艦長の軍帽をかぶりなおして、顔に影を作りながら低めの声で語りかけた。
「お嬢さん、申し訳ない事をした。私はこの戦艦さきいか……」
「黙れハゲ! こっちは急いでんだよ! あぁ遅刻しちゃう!」
 少女は叫んだりぼやいたりしながら、慌ててどこかへ戦艦をワープさせてしまった。
「ハゲてはいない……」
 艦長は思わずふさふさの髪を撫で上げた。
「艦長、任務を忘れてはいないかね?」
 バドと唯一タメ口で話せる友人、軍医のロックが控えめに聞いた。ロックも初老の上品な男性で、並べてみると親子か、祖父と孫のようでもある。バドのよき相談役として、常に隣に控えている。
「……わかってるさ、ロック。進路修正。目的地『灰の星』へ急行せよ」
 艦長は本来の目的を思い出して言ったが、心は一瞬の出会いにすっかり奪われてしまっていた。
 可愛い子だった。
 この広い宇宙でワープして衝突するなんてこと自体が、天文学的な確率なのに、その相手が好みの美少女たったので、艦長は運命を感じずにはいられなかった。
 さきいかラムネは艦長のためらいを載せたまま、機首をぐるりと回して、目的地へ加速を始めた。
 宇宙戦艦さきいかラムネは、その見た目に大きな特徴を有している。艦の上を覆い尽くして余りある巨大すぎる主砲だ。どちらかというと、主砲の下に艦がとりついているという体である。主砲の大きさ自体は珍しくはないが、形状が独特なのだ。黄褐色の半透明な砲身に、複雑な凹凸が刻まれていて、先端に蓋をするように巨大な球が入っているのが見える。そこがリアクターだ。
 このリアクターが動いて主砲が発射されれば、地球程度の惑星などひとたまりもない。あまりに強力すぎる威力ゆえ、さきいかラムネは宇宙全域から恐れられていた。
 かつて、数多くの戦艦がさきいかラムネに立ち向かい、この主砲の前に哀れな破片となって消えて行った。白黒つけない優しさが仇になった戦艦カフェオーレ、高熱量(カロリー)を逆手にとって揺さぶりをかけられ自爆した戦艦コカペプシ、仲間割れしたところを一網打尽にされたファンタ艦隊、ブラックホールに近い超圧縮質量を持て余して沈んだ戦艦カルピス、そして、上質を極めることに夢中で戦力を疎かにしたコーヒー艦隊。どれも強敵ではあったが、さきいかラムネの不敗神話に華を添えただけだった。
 さきいかラムネの特徴は、主砲の他にもう一つある。それが艦長バドだった。
 普通の若者にしか見えないが、バドは宇宙で唯一、この主砲のリアクターを制御することができるDNAを持っているのだ。
 さきいかラムネ砲を放つためには、砲身の先端を塞ぐ球体のリアクターを高エネルギーで砲身内にたたき落とし、その回転でエネルギーを増大させつつ、リアクターで砲口を塞がないように砲身側面の窪みに落とし込みながら、ターゲットに向けエネルギーを発射する必要がある。
 この複雑な技法は、かつては人類誰もが持っていた普遍的な力だったが、時代とともにその知識は失われてしまった。
 人類は過去を研究し、なんとか主砲を作ることはできた。しかし、誰も扱うことができなかったのだ。
 そこでバドを生んだ。
 彼は、大昔に死の灰で覆われて滅んだ地球の大地を、これでもかと掘り返して、ようやく発見されたミイラのDNAを植え付けられた古の人類なのだ。
 成長した彼を、強い太陽の光のもと、ミィンミンミンという不思議な音を聞かせ、彼の身長ほどの棒に網を取りつけた武器、神をとらえるという鮮やかな緑の籠、彼の頭部を覆う編み物の兜を装着させ、数時間かけて虫を追いかけさせた状態で、氷水で冷やした小型のさきいかラムネ砲の模型を持たせることで、彼は本能的にその操作法を思い出した。しかしそのときには、さきいかラムネプロジェクトのメンバーは皆、年老いてしまっていた。それが、この艦の年齢層の秘密である。
 しかし、プロジェクトは成功した。さきいかラムネは宇宙最強の戦艦、宇宙政府の最終兵器として、数々の無法惑星や暴走彗星を破壊してきた。
「艦長、前方にええと……なんだったかしら、そうそう、それよそれ、灰の星! 灰の星をとらえました」
 周囲のサポートを受けながら、オペレーターのおばちゃんが報告する。
「よし、とっとと行ってぶっ壊そう」
 艦長が言うように、この灰の星に来た理由もまた、破壊であった。灰の星が反政府勢力を匿っているという噂になり、問い質しに行った政府関係者が殺害されたので、さきいかラムネの粛清の対象になった。その破滅の瞬間をとらえるために、各銀河からテレビ局が結集しているのだ。撮影予定時刻に若干遅刻して、さきいかラムネは灰の星に向けて、全速力で接近する。
「艦長、主砲発射準備整いました」
 バドの座る艦長席の左側にあるレバー、右側にある2つのボタンに、主砲の操作が委ねられる。レバーで方向を決め、Aボタンの連打でリアクターの出力を上げ、Bボタンで発射する。
 バドはレバーを調節しながら、神技ともいえる速度でボタンを連打した。砲身が振動を起こし、リアクターが砲身内に落ちる。その回転はどんどん速くなり、高いエネルギーが集中する。
 彼の右手がBボタンを押そうとした瞬間、さきいかラムネと灰の星の間に立ちふさがるように戦艦がワープしてきた。
 それはまさしく、いましがたワープの出会いがしらに衝突した艦であった。
 が、さきほどとはすこし様子が違う。戦艦の上部に、水晶のように透明で澄んだ主砲を積んで、さきいかラムネに向けているのだ。
 バドはなんとかレバーを握りしめていたが、発射ボタンを押すことはできなかった。
「君はさっきの……」
「あんたは……まさか、あんたがさきいかラムネのバド?」
 銀髪の少女の声が響いた。美しい声にバドはうっとりする。同時に、この状況を嘆いた。
「危ないよ、お嬢さん。どうかそこをどいてくれ」
「黙れ、腐った地球人が! あたしは銀嬢(ぎんじょう)、この灰の星の自警団と宇宙戦艦ウルトラピュアを仕切っている。無残な破片になりたくなければ、おとなしく太陽系へ帰りな」
「どいてくれ、君を撃ちたくない。あの星さえ壊せればいいんだ」
「ふざけんな、クズ! あそこは私の故郷、そんなヘッポコ主砲で壊させないから! 帰らないなら、ウルトラピュア砲の餌食になれ!」
 言うなり、目の前の戦艦から激しい光がほとばしった。さきいかラムネは砲台の出力を防御シールドに変えて、ダメージを四散させたので、艦体は無傷だった。しかし、バドは戸惑いを隠せない。
「バカな、水ごときにこんな力があるとは……!」
 最近の主流である、液体によって威力の異なる高エネルギー砲・リキッドキャノンは、さきいかラムネがその最強の性能を誇っていた。それは科学的に証明されている。だからこそ干からびた母なる惑星を穴だらけにしてまで実現が求められたのだ。一方で、水など一番低能力のはずである。さきいかラムネに対抗できるわけがない。
 しかし、ウルトラピュア砲はさきいかラムネシールドを剥ぎ取るようにかき消してしまった。
「艦長バド、あんたはひとえに水と言ったけど、水ほどバリエーションのあるものはないんだよ」
 ニヤリ、と銀嬢は笑みを漏らした。
 バドはハッとする。
「まさか……エウロパの地で飲まれていたという、炭酸水か!」
「バァカ! あんなもの、塩素たっぷりマンション水や目薬に比べたら、蒸留水みたいなものだよ!」
「目薬は水じゃないだろう」
「うるさい! とにかくこの宇宙戦艦ウルトラピュアは特別製なの! 残念ながら、さきいかラムネの時代は終わったのさ」
 銀嬢の愛らしい微笑みに見とれながら、バドはクルーの手前、舌打ちをしてみせる。周辺にはプレス連中もいる。相手が可愛いからといって、水などにさきいかラムネが負けるわけにいかないことはよくわかっていた。銀嬢はしかし、もうすっかり勝った気でいる。
「降伏しろ、さきいかラムネ! 灰の星は諦めて、北極星で紫蘇ラムネでも作ってな!」
「なに……」
 さすがのバドもこれにはカチンときた。
「我が熱き血潮の兄弟、鍛高(たんたか)ラムネをバカにするとは許さん!」
「おい、バド……」
 軍医ロックが制しようとしたが、バドは手元のレバーとボタンに再び手をかけていた。
 鍛高ラムネはさきいかラムネの兄弟艦で、ほぼ同等の破壊力があるとして製造された。操縦はバドの双子の弟ギネスが行っている。古い地球人のDNAは一種類しか見つからなかったので、必然的に双子になる。ギネスも宇宙戦艦鍛高ラムネを駆って大宇宙へ、治安のために旅立っていった。バドとは逆方面を担当しているため、もう二度と会うことはないだろう。会うとすれば、すべてを破壊しつくした後だ。
 幼い兄弟は別れの際に誓い合った。旅半ばで倒れたらもう二度と出会えない、だから最後まで勝ち続け、生き延びてやろう、と。兄弟が宇宙の反対側で戦っているという信頼が、孤独な地球人の唯一のよりどころであった。それをバカにされて、黙っていることはできなかった。
「主砲エネルギー充填、最大出力!」
「艦長、しかし……」
「やれと言ってるんだ!」
「ら、ラジャー」
 さきいかラムネのリアクターが輝きながらコロコロ転がる。バドは砲身をレバーで巧みに操ってリアクターを窪みに誘導し、再び前方に照準を合わせた。
 いっそ灰の星ごと撃ちぬいてやる。
 精神を指先に集中し、右手は全力でA連打をする。かつてのライバルたちを消し去ってきた最強の光が、いままた新たな空き瓶……いや、星屑を生み出すだろう。
 愛する人もろともに……。
「……銀嬢、君に会えて良かった」
 最後に礼を言って、バドはBボタンを押した。
 世界が光に包まれる。
 バドは目をつぶった……眩しかったからだ。決して涙をこらえたのではない。
「……バド。おいバド艦長」
 ロックの空気を読まない呼び声がする。
「いいか、俺は単に眩しくてだな……」
「前をよく見てみるんだ」
 切羽詰まった声。バドは仕方なしに目を開けて、愕然とした。
「……ばかな!」
 粉々に砕け散っているはずの戦艦ウルトラピュアは、一瞬前の姿のままきらきらと砲身を輝かせていた。まったくの無傷である。
「誰に会えて良かったって?」
 銀嬢も美しいままだ。それは良かったが、……いや、良くない。
「ありえない……さきいかラムネは最強のはずだ……」
 バドは茫然自失した。が、すぐに我に返って、第二波の用意を命じる。
「無駄だよ、さきいかラムネ。あんたの攻撃なんか効かない」
 銀嬢が鼻を鳴らした。その自信満々な態度は、根拠がないとは思えなかったが、バドはそれを認めたくなくて、まずもう一発のために主砲にエネルギーをチャージした。銀嬢は律儀にも待っていてくれる。
 ドドォォォン!
 世界最強のリアクターが星をも砕く光を放つ。
 今度は、バドもしっかり見ていた。
 さきいかラムネ砲が、ウルトラピュアバリアに吸い込まれるようにして消えていくのを。
「これだけのパワーを無力化しているというのか!」
「そういうこと」
 バドは眩暈がした。自分はこの最強の主砲のためだけに作られた存在だ。その最強が、水なんかに負ける。いまごろテレビ局がこちらをクローズアップしてわめいているだろう、「歴史的瞬間です!」と……。
「フッ、所詮は炭酸飲料。水の力には勝てないんだね」
 銀嬢が笑っていた。こんなに綺麗な顔をしていなければ、戦艦ごと突っ込んででも殺してやりたいくらいに悔しい。
「諦めるしかないのかよ……! ちくしょう……」
 バドの口から初めて絶望がこぼれた。百戦錬磨の最期を決定的にするために、ウルトラピュアの砲口が灯る。さきいかラムネのクルーたちは、うなだれた艦長に代わってシールドの準備をしたが、最大出力で二発も砲撃を行った直後のため、シールドを構成するだけのパワーが出ない。
「バド、おとなしく地球に帰るんだね」
 銀嬢がにこやかに発射スイッチを押した。
 もう一度、光。
 今度は目を閉じる必要はなかった。目が焼けたとしても、涙がこぼれたとしても、関係ないのだから。
 バドはそれゆえに、光の筋が一瞬巨大化して、すぐに横方向に反れて行ったのをしっかりと確認していた。
 ウルトラピュア砲は完全に明後日の方向に飛んで行ったのだ。
 銀嬢の笑顔を映していたディスプレイに、彼女のものと思わしき巨乳が押しつけられていた。思わずニヤリとしてしまったバドだが、決してサービスではなかった。深い谷間を、どす黒く赤い液体が流れていく。
「銀嬢、どうした、なにがあった!」
 相手が憎き敵であることも忘れて、バドは必死に話しかけた。巨乳が僅かに動く。まだ生きている。
 ホッとしたのも束の間、彼女の体がグイッと後ろに引っ張られて、画面にポタポタと血が滴った。撃たれているらしい。彼女の絶妙なボディラインの半分が赤く濡れていく。人形のようにグッタリとした体を持ち上げているのは、見知らぬ優男だった。片手に銃を構えている。
 銀嬢が苦しそうに呻き、男を睨んだ。
「兄さん……どうして……」
「銀嬢、おまえはおばかな妹だな」
 優男は温もりのある微笑みを浮かべている。
 バドはその顔を知っていた。灰の星の反政府組織『お湯』のリーダー、篤漢(あつかん)だ。
「おまえに自警団『お冷や』の指導者を任せたのは間違いだったようだね。あんな古臭い清涼飲料水に夢中になっちゃって、隙だらけだよ。お兄ちゃんはがっかりした」
 灰の星には過激派と穏健派がいる。宇宙政府の訪問官を殺害したのは過激派『お湯』である。彼らの身を差し出さなかったことで、自警団の大半を構成する穏健派『お冷や』も同罪にとらえられ、星ごとの爆破が判決されたのだ。
 しかし、様子がおかしい。
 『お湯』の篤漢は銃を銀嬢に向けている。
「僕たちは、もう『お冷や』のやり方には付き合いきれない。僕たちは煮えたぎっているんだよ! このパワー、沸騰する熱き想いは、冷酷なおまえたちには到底わかるまい! 理性の蓋から怒りが吹きこぼれるのも時間の問題さ。さぁ、やつらに真実を教えてやろう」
「やめて!!」
 銀嬢が引きとめる。しかし篤漢は彼女を静かに抱きしめて、バドには熱波の出そうな目で睨みつけた。
「君たちはね、所詮は僕らから生まれた副産物に過ぎないんだよ。いや、不純物を混ぜた合成品と言った方が正確だ」
「合成品……だと?」
 太古の大地から蘇った伝説の飲料さきいかラムネ。バドはその名に誇りを持っていた。合成品などと、侮辱にもほどがある。篤漢は銀嬢の体を抱えたまま、銃をホルスターに戻し、レバーに手を置いた。おそらくは主砲の操作用だ。
「最強のさきいかラムネ砲が効かないのが、なによりの証拠じゃないか。僕らは超純水なんだよ。砂糖も塩も炭酸も、もちろんそのほかの栄養素や塩素、ミネラルでさえ含まない、一切の不純物を排除したパーフェクトなお湯と水。いわば液体界のアダムとイヴ。このエネルギーは、安寧に満たされた合成飲料とは根本的に違う。激しい反応性、高い抵抗力はさきいかラムネ砲ですら無力化するんだ。さらに言えば、同じ超純水でも、僕ら『お湯』が使う方が、君たち炭酸飲料にとってはダメージがでかいだろう? つまりね、『お冷や』よりもさらに、僕ら『お湯』が最強であり、この世界に君臨する王者ってことだよ」
 自慢げに物語る篤漢は、熱しすぎた葛湯のように危険な笑みを浮かべていた。油断すると大火傷をすることになるだろう。
「それを銀嬢ときたら、合成品どもを影から支えるのが超純水の役目だなんて言うんだ。故郷を破壊しに来た憎きさきいかラムネでさえ、無傷で退却させるだけでいいとね。びっくりして蒸発しそうだったよ」
 バドの方こそ、炭酸が抜けそうな衝撃を受けた。
「銀嬢、それは本当なのか……?」
「……」
 銀嬢はふっと目をそらした。
「あたしは、この星を壊してほしくないだけだよ」
 なんて可愛い子だと、バドはあらためて銀嬢に惚れた。しかしいまは憎きクズ野郎の腕にその身が委ねられている。はがゆかった。
「それが甘いっていうんだよ、銀嬢。カフェオーレやカルピスたちみたいに、死に物狂いでさきいかラムネを壊しにいけばいいものを」
 篤漢の発言に、今度は銀嬢も目を見開いた。
「まさか……兄さんが彼らをそそのかしたの? あんなに優しかったカフェオーレたちを、さきいかラムネと戦わせたの?」
「そうさ!」
 顔つきだけは優しいのに、口調は熱湯のように激しい。高笑う篤漢の声だけが膨張して不気味に響き渡る。
「ばかで無力な合成飲料ども! ウルトラピュアの威力と銀嬢への憧れにあっさり扇動されて、泣きながらワープしていったよ。傑作だったのはファンタ艦隊だね。慣れない連携攻撃なんかして、ほとんど自滅だったじゃないか。混ぜたらミックスジュースになるわけでもあるまいし。あはは、思い出したらまた笑えてきたよ」
「ひどい……そんなのひどい! 兄さん、いつからそんな無味乾燥な人になっちゃったんだよ!」
 銀嬢が悲壮感を露わに叫ぶのを、兄の顔でたしなめる姿は、見るにたえなかった。
「もとからだよ。僕らは生まれたときから空っぽなんだ。それこそが純粋なるエイチツーオーなんだから。銀嬢は安っぽい合成品に汚染されてしまっている。僕らはずっと隙を待っていたんだよ。今日はちょうどいい機会だ。最強を倒し、『お冷や』を無力化するのにはね。ちょうど君たちが連れて来てくれた報道陣もいるし、この世界を支配するのは水ではなくお湯だということを、知らしめてやる。これからは真夏でもホットドリンクが自動販売機に並ぶんだ!」
 篤漢は操縦レバーを引いた。ウルトラピュアの砲口が高熱のオレンジ色に染まり、真っ直ぐにさきいかラムネを目指す。
「思い知れ、合成清涼飲料水たちよ!!」
 カッ! とフラッシュが視界を満たし、すさまじい唸りをあげてさきいかラムネの艦体が揺れた。バドたちは床に倒れ、左右に振られながら、強烈な熱を感じる。これが超純水のお湯の力。クルーたちの悲鳴と各種の警報が混じり合って加熱し、恐怖を一層引き立てる。さきいかラムネは、生まれて初めて被弾した。あまりの熱量に、砲身内の炭酸が爆発的に気化していく。その衝撃によって進路が制御不能となっていた。
 百戦錬磨の戦艦が沈む瞬間をとらえようと、カメラ船が虫のように飛びかっている。
 バドはその中で、静かに通信ディスプレイを見ていた。篤漢が銀嬢を部下に引き渡し、なにか指示を出した。次の一瞬、彼女がパッと身を翻し、篤漢に鮮烈な回し蹴りをくらわせた。耳元に直撃をくらった篤漢はたじろぐ。銀嬢は鉄砲水のような勢いでブリッジを飛び出して行った。
 バドは立ち上がって吠えた。
「さきいかラムネ、全速前進! ついでに小型艇の発進準備、俺が彼女を迎えに行く!」
 バカな、とクルーたちの生き疲れた眼がバドを見上げる。いまは状況把握と墜落の回避で、鍋の中の気泡のように慌ただしいのだ。敵の女のことなど考えている余裕はない。
「ロック、あとは任せるぞ!」
 バドは言い残すと、一人で銃を手にしてブリッジを飛び出した。
 議論の余地などないことは、さすがの老人たちも知っていた。
 さきいかラムネはグラグラ揺れながら、ウルトラピュアめがけて突進した。相手が応戦体制を整えているうちに、小型艇でバドが飛び出す。その表情はかつてないほど引き締まっていた。
 自分の存在意義が害されたいまとなっては、彼にすべきことといったら、愛する女を護ることくらいしかない。
 ドン、と炭酸爆発が起こり、さきいかラムネが揺れる。ぶつからないように気をつけながら、バドは全力でウルトラピュアを目指した。
「……いた!」
 相手側からも、小さな光の滴がこぼれ落ちたのが見えた。銀嬢に違いない。バドは素早く小型艇を寄せた。
「銀嬢、こっちだ! さきいかラムネに収容する」
「艦長自ら出てきたの? ご苦労さま! あんたなんかに……って言いたいけど、仕方ないよね。お願いするわ」
「大歓迎さ。その気丈な態度、いかすね」
 銀嬢が笑った。
 美しい。
 バドが彼女に見惚れた、一瞬のことだった。
 ドォォォォン!!!
 バドは爆発を見た。
 銀嬢の乗っていた小型艇のいた場所で、花が咲くように広がる赤い熱の塊。バドの舟に破片がぶつかる。
 バドはその熱が宇宙に吸い込まれていくのを見ていた。
 熱が冷めれば、彼女の小型艇が見えるはずだと信じていた。
 しかし、後に残ったのは真っ黒な闇ばかり。
「バド! 帰還しろ、バド!!」
 ロックが呼びかけてくる。遠い星の爆発音みたいで、聞こえやしない。
「ようやく、片がついたようだね」
 篤漢の優しさを装った悪意は宇宙よりも暗かった。ほくそ笑んだまま、さらにさきいかラムネに攻撃を続ける。
「強制回収するぞ、バド!」
 ロックがリモート操作で小型艇を回収する。
 バドはその間、なにも考えず、ただ目を開けっぱなしにしていた。
 彼女が消えたその暗い空間を見ることしかできない。
 ロックの声がどこか上の方で鳴っていた。
「各員に告ぐ、さきいかラムネは灰の星に着陸する。大至急、大気圏突入準備を整えろ」



 真っ白だった。
 雪のように白い粉が降り積もった、灰の星。
 さきいかラムネはふわりと灰を巻き上げながら着陸した。あやうく艦が倒れそうになるほど、厚く灰の層ができている。だだっ広い白の砂漠が延々と続いているだけの、殺風景な星だ。
 まさに、いまのバドの心境に相応しい。
 バドはロックに連れられて、その無限の砂漠に降り立った。膝までが埋まり、バランスを崩して地に手をつく。すぐに肘までが砂に隠れてしまった。
 なんて虚しい星だ。
 そして、なんて虚しい存在なのだろう、自分は。
 生きる意味をすっかりなくして、バドは立ち上がる気力さえ忘れてしまった。
 涙が、ぽとり。砂に浸み込む。ぽたぽたと落ちる。
 砂にしみができる。
 そのしみが、広がっていく。
 バドが涙を供給するよりも、速く……。
「……な、なんだ」
 砂に描かれた涙の痕が、みるみるうちに拡大していく。あっという間にバドの跪いている辺りを包み込み、後ろに立つロックも、さきいかラムネさえも取り囲んでいく。
 砂の中から、泡が噴き出してきた。それとともに、シュワァァァァという音が聞こえる。馴染みのある音だ。泡は溢れては弾け、そして液体に変わっていく。気がつくと小さな池ができていた。それもどんどん広がっている。
「ロック、これは……」
「そう、この灰の主成分は炭酸水素ナトリウム。またの名を重曹とかベーキングパウダーともいう」
 バドはもう一度砂に目を落とした。泡はジャグジーのようにとめどなく溢れだす一方だ。
「……た、炭酸……なのか」
「そう、これこそが、さきいかラムネの原料。ここはかつて地球と呼ばれた星なんだよ、バド」
「地球!?」
 果てしない砂漠がバドのDNAが生きていた大地とは、信じられない。
「度重なる戦争と汚染のために、死の灰に覆われて幾星霜、誰も近づくことさえできなかった我らが母なる惑星だ。放射能やそのほかの汚染物質は、長い月日と我々の恒久的な努力によって、無害な炭酸水素ナトリウムへと変化したのだ。しかし、この地球全土を覆っている膨大な量の炭酸水素ナトリウムは、ちょっと特殊なのだ。普通はクエン酸を入れれば炭酸水になるのだが、この灰はつまり、いまバドの流した数滴の涙、これがどうやら不可欠らしい。それも甘酸っぱい失恋の後のような涙でなければならないのだ。もともと海水成分が多いことが関係しているらしいが……」
「甘酸っぱい……?」
 強烈に苦い思い出だとバドは反論しかけたが、ロックの後ろから麗しい銀色の乙女が姿を見せたので、パッと顔色を明るくした。
「銀嬢! 無事だったのか!」
「騙してごめんね、バド。あんたを泣かさなきゃいけないっていうからさ。あの小型艇は無人だったの」
 申し訳なさそうにはにかむ銀嬢は、撃たれていたのもどうやら嘘だったらしい。実に健康的に輝いていて、それはそれは可愛らしくて、バドはこの世のすべてを許すことができると思った。
 ほんのすこし、違和感があったが。
 ――自分を、泣かす?
「銀嬢、まさかワープ後の衝突からいままで、全部、計画的だったのか?」
「うん、本当にごめんね」
「ということは、あの優男は……」
 タイミング良く、戦艦ウルトラピュアも降りて来た。篤漢がカタパルトから身を乗り出して手を振っている。
「おおい、ロックさん! もうさきいかラムネの充填、はじめてもいいですかぁ?」
「ああ、頼む!」
「りょうかーい! バド、銀嬢、一緒に吸い込まれないように気をつけるんだよー」
「はぁい、兄さんも落ちないようにね!」
 篤漢はウルトラピュアの中から巨大なホースをクレーンで操作し、さきいかラムネの砲口とバドの周りの池とをつないだ。砲身に新鮮な炭酸水が満たされていく。
「今日は二十年に一回のメンテナンス日でね。さっきのウルトラピュアの攻撃は熱湯消毒だよ。超純水ほど洗浄に適した液体はないからね」
 良く見れば、さきいかラムネは無傷だ。ロックが一仕事終わったと表情をほころばせる。
「ロックさん、でもまだもう一人、いるんでしょ?」
 銀嬢がわき出るさきいかラムネを手ですくいながら、疲れたロックに声をかけた。
 バドもおそらく同じタイミングで、一人の人間を思い出した。
「そうだった。まだギネスの方が残っていたね。あいつは紫蘇ラムネだから、甲子園ドラマのように爽やかな涙がなければいかんのだ、まったく面倒な兵器だよ。報道陣にも今回のメンテナンスのニュースは鍛高ラムネの分が終わるまで流さないように徹底しておかないとな。銀嬢、もう一仕事頼まれてくれ」
「了解。でも熱い青春なら、お兄ちゃんの方が向いてるよ」
 笑顔の銀嬢は完璧な美しさをばらまいている。しかし、もしかしたら、それも計算のうちなのかもしれないと思って、バドはひやりとした。
「バド、誕生日おめでとう」
 銀嬢が甘えるような声を出して差し出したのは、さきいかラムネの小型のレプリカの瓶。リアクターに似せたビー玉も入っている。バドが操作方法を思い出した時に使ったのと同じものだ。
 銀嬢が中に発泡中の灰を入れたので、あっという間に中が一杯になる。炭酸の圧力で押し出されたビー玉が、うまい具合に口を塞ぎ、瓶が密封される。
「まさか、飲み方を盗もうっていうんじゃないだろうな」
「ばれた?」
 さすがのバドも、騙されてばかりではいられない。
「断る。これは俺の……いや、俺と弟の専売特許だ。これを教えちゃったら、もう銀嬢に構ってもらえなくなるだろう」
「気付いてたか」
 バドは銀嬢から瓶を受け取って、二人から見えないように背中を向けた。器用にビー玉を落とし込んで開封し、ビー玉を溝に引っかけながら中身を一気に飲み干した。
 甘酸っぱい出会いと、すこし乾いてしょっぱい故郷の思い出、ちょっと生臭い現実が絡み合った、まるで人生そのもののような、さきいかラムネの味がした。