エレキテイル

第三章

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 ミイタは喜々として胸の樹脂カバーを開き、ぎっしり詰まった回路のケーブルから一つを取り出して、細い銅線の束を二本に分けた。半分は繋いだまま。もう半分は断ち切り、少女の頭部を仲介させる。同じ要領で、数本の回路に少女を組み込んだ。
 少女の運動系は、ミイタのセンサを通じて、彼女の思考回路に繋がった。
「どうだ?」

 ミイタは身を乗り出して構えた。
 少女が口を閉じた。
 ぴよ、と一鳴きを境に、鳥も静寂に消えた。

 まず、眼に動きがあった。深緑の瞳が、上下左右をくるくる見渡した。
 いまの彼女の視界は、ミイタの視界と共通だ。ミイタの見ている、つまり少女の戸惑った顔が、彼女自身にも見えているはずだ。
 眼の動きに視野が追随しないので、不審に感じているようだ。
「見えてるかい? 自分の姿が」
「……見え、ます」
「やったぜ!」
 思わずミイタは跳ね上がった。少女が突然の視界の動きに驚いて眼を閉じる。光も音も伝わっている。反応もあった。成功だ。
「なぁ、動けるかい?」
「はい……」
 少女はわずかに手を動かそうとした……が、突然ものすごい勢いで腕が一回転し、ミイタはそれにぶつかってひっくり返った。
 転んだのはミイタだが、少女も短い悲鳴を上げた。同じ衝撃が伝わっているからだ。
「申し訳ありません、制御がうまくいかなくて……」
「そりゃ、そうだ」
 ミイタは笑った。一つのセンサで二体のロボットを動かすのは難しい。
 つまりこういうことだ。少女の思考回路は腕を上げようとした。しかし、ミイタが動かないので、センサからは腕は動いていないという情報がくる。すると少女の思考回路はさらに腕を動かす方向に加速するので、異常な速度で腕が動いてしまったのだ。どんなに激しく腕を回しても、ミイタの腕が動かない限り、少女の思考回路は動きを感知しない。
「いっそ、思考回路も繋ぐかい?」
 冗談めかしてミイタが言うと、「できるんですか?」と真に受けてしまった。思考回路同士を繋ぐなんて、センサを新調するより難しいのだが。
「嘘だよ」
 ミイタは自慢げにその言葉を口にした。
 少女は心底困った顔をして、
「あなたは、私を停止させたいのですか?」
と聞いてきた。
「まさか!」
 予想外の反応に、ミイタの方が驚いた。
「君と会話がしたかったんだ」
「それなら、聴覚だけで良かったのに。なにもかも、制御がおかしくて、壊れてしまいそうです」
 厳しい評価だ。
 眼の向く方角と違う映像が見え、自分の声が遠くから聞こえ、思い通りに動くこともできない。突然開けた「外界」は、少女にとって複雑すぎたようだ。
「ごめん。悪気はないんだ。君にセンサがあればと思って、つい夢中でやっちゃった。これは嘘じゃないよ」
 ミイタは真剣に少女に訴えるしかないと確信していた。嘘つきは、嘘をつくタイミングを心得るのが最も重要だ。
 少女はミイタの意気込みに一瞬迷ったが、ほどなくして微笑んだ。鏡に笑いかけるように、自分の表情を確かめながら。
「ロボットなのに、嘘だとか、嘘じゃないとか、不思議な方ですね」
 ミイタも安心して笑い返した。彼女には見えていないし、見えていてものっぺらぼうだが。
「そこんとこは賛否両論、むしろ批難轟々なんだけど、オレにとっては自慢なんだよ」
「嘘をつくことが?」
「そう。君にとって泣くことと一緒でね」
「それはわかりやすい例えですね」
 少女が再び笑った。ミイタを危険でないと判断したのか、ここで畏まって自己紹介をした。
「ミイタ、感覚を貸して下さってありがとうございます。私は『涙』システムの初期型を搭載したデフィアと申します」
 ああ、やっぱり。と思った後で、あれ、とミイタは疑問を感じた。
「オレ、まだ名乗ってないよ?」
「申し訳ありません。回路を中継しているせいか、あなたの思考回路が時々見えてしまうのです」
「そんなこと、あるんだ?」
 ミイタのセンサと少女の運動系を繋いだだけなので、思考回路に影響はないと計算したのだが。急ごしらえだから、どこかに配線の漏れやミスがあったのかもしれない。
「まぁいいか。デフィア、話ができて嬉しいよ。オレにも、君の考えがわかればいいのにな」
「あら、男性型にはできないようになっているんですよ」
「えっ?」
「嘘です」
 デフィアはにっこりと微笑んだ。
 ミイタは少しだけ後ずさりした。
「いまのも、オレの回路を使ったの?」
「ええ、あなたの『嘘つきプログラム』を一時的にお借りしました」
 ミイタの主人がまさに命がけで作り上げた最新の超難解プログラムを、この数分間に解読し、利用したというのか。
 並大抵の人工知能にできるマネではない。
「君はすごいな。その処理能力を尊敬するよ」
「とんでもございません。きっと長い間、思考回路を使っていなかったから、新しい情報に敏感なんですよ」
 デフィアはさらりと謙遜したが、その言葉が本音かどうか、もうわからない。
「それよりも、ミイタ、私の前に立ってくださる?」
「えっ、こうかい?」
 スカートを踏まないように、少女の前に移動する。
「ええ、そのまま向こうを見て」
「うん」
 ミイタは素直に従った。彼女を警戒するよりも、どこに嘘があるかわからない、スリリングで高等なコミュニケーションを楽しんでいた。嘘や冗談を交えて会話するロボットなんて、間違いなく、いまこの世界に二体だけだ。
「両手を、私の両手と重ねてください」
「あっ、そういうことか」
 ミイタはデフィアの考えがわかって嬉しくなった。
 二人羽織だ。ミイタが前、デフィア後ろから同じ向きで立ち、両手を繋ぐ。この状態なら、視覚や触覚のギャップが一番少ない。
 ミイタはデフィアの細くて冷たい手を取って、力を入れすぎないように、そっと前に引っ張った。
 デフィアの方は情報処理に苦戦している様子だ。ミイタの両手にかかる負担から逆算して、必要な制御を実行しているらしい。が、五秒後には落ち着いて、ほぼ一人で直立の姿勢を安定させた。
「デフィアは優秀だな。歩けるかい?」
「ミイタのおかげです。やってみます」
 少なくとも、その感謝の言葉は本当だろうとミイタは推測した。
「右足から、いくよ」
「はい。手を離さないでくださいね」
「もちろんさ」
 まずは一歩。次に一歩。ゆっくりと、二人は前に進んだ。デフィアの動きがぎこちないのも、少しずつ落ち着いていった。
「十年ぶりです。歩くなんて」
 デフィアの声が花のように明るく広がった。ミイタも嬉しい。ぴよぴよ、と例の鳥もはしゃいでいる。
「あら、あの鳥」
 デフィアが気にするので、ミイタは代わりに鳴き声のした方を見上げた。薄い黄緑の鳥が木の枝に止まっているのを検知する。
「君の話に合わせて、ずっと鳴いてたよ。たぶん音声認識だな。君の声が人間とそっくりだから反応しやすいんだ」
「より多くの人に話を聞いて頂くためには、できるだけ自然な声がいいんです」
「君は、涙の女王の物語をするためのロボットなのかい?」
 デフィアが立ち止まった。
 ミイタはゆっくり振り返った。
 少女の瞳が強い光を帯びてミイタを見つめていた。
「女王は『涙』の技術で世界中から脚光を浴びられました。女王という通称が流行ったのはその頃です。しかし、女王はあまりご自分のことを明かされませんでしたから、世間では女王のご身上について様々な憶測が飛び交いました。調査の上での推測や、見当はずれの噂も混ざって、ご本人とかけ離れた人物像が次々と造り上げられたのです。女王が最も嫌う人間の風習の一つでした」
「わかるよ」
 世論に殺された主人のことがミイタの思考で連想された。
「そこで女王は、いつもお側に控えておりました私に、唯一の真実を永遠に語り続けるようお命じになったのです」
「君だけに? 他の姫たちは?」
 喜び、怒り、後悔の三人がいたはずだ。
「女王が私に使命をくださった、次の日です。『喜び』の子を、女王が壊してしまいました。どんなことにも喜ばなくなってしまったからです。『怒り』の子は、自ら思考回路を停止してしまいました。なにを望んでも得られなかったからです。そして、『後悔』の子は……」
 少女の掌にわずかに力が篭った。
「制御回路が短慮になっていたところに、『喜び』と『怒り』の子が壊れてしまったのを見て、次は自分だ、全ての機能を失う前になにかさせてよ、と叫んで、女王を殺してしまったのです」
「自分の主人を……」
 殺人は、ロボットが最も犯してはならない、犯すはずがない過ちだ。事例があることを知らなかったし、不可能に思えた。普通は、そのようにプログラミングされているのだ。
「おそらく、『涙』システムのために、感情が増幅されていたせいでしょう。女王も、倫理や正義といったことは基礎知能のほかには教育されませんでしたし。彼女たちは役割に従順だったのです」
「それで……デフィアはどうしたの?」
「私は『後悔』の子を停止させてから、屋敷を出ました。女王の本当のお姿を理解してくださる人を探して放浪の旅に出たのです」
 ミイタは女王とそのロボットたちが恐ろしくなっていた。そんなにあっさりと自分の傑作を壊すエンジニア、唯一無二の主人を殺すロボット、それを従順と解釈できるデフィア。ちょっと話を逸らそうと思った。
「誰か一人でも、わかってくれたかい?」
 デフィアはぱっと屈託のない笑顔を見せた。
「世界中を歩いて回りましたけど、一人だけ、この森で出会った方は、誰よりも熱心に聞いてくださいました」
「この森?」驚きのあまり、声の音量が大きくなった。「いつのことだい?」
「十年と三ヶ月前です」
「そりゃ……オレが生まれる前だ」
 それでも百年の十分の一だ。少女の時間の重みを感じて、溜息が出た。
「その方は女王のお気持ちがわかる、自分もそんなエンジニアになりたいと仰るので、私は嬉しくて、何度もお話しをしました」
 もしや、とミイタは思った。
「デフィア、その人間って……」
 少女は表情をそのままに、挨拶をするような爽やかさで断言した。
「ええ、あなたを作った方です、ミイタ。あなたが貸してくれているセンサは、もともと私のものだったのです。返してくださる?」
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