エレキテイル

第四章

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 デフィアの白い手が、驚きに竦むミイタの右腕をつかみ、ぐいと引っ張った。薄汚れた樹脂が、ポンと軽い音を響かせてすっぽ抜けた。左手も。両足も、胴体も、そして頭部も。ミイタを覆っていた樹脂のカバーは簡単にはずされ、黒光りする回路の束がむきだしになった。
 次に彼女は、自らのドレスの紐をほどき、白い胴体を曝した。脇腹のあたりに、小さな窪みがある。そこに爪を引っ掛けて、扉のようにべろりと被膜をめくった。
 少女の内部も露になる。ミイタと同じように黒光りしていたが、妙にがらんとしていた。中央に大きな空洞がある。デフィアはその穴を指さして、
「ここに、あなたが入るんですよ」
と明るく宣言し、ミイタを持ち上げ、引き寄せた。樹脂カバーをはずしたミイタの体は細くて小さく、少女の中にすっぽりとはまった。
「デフィア、これ、どういうことだ?!」
 ミイタは電子回路に埋もれながら、困惑して叫んだ。自分と自分を包むデフィアの部品が、同じ年代・系統の作りであることを否定できなかった。
彼は確かにここに繋がっていたのだ。
「どんなにミイタが優秀なロボットでも、全く別の回路とセンサを共有して、上手くいくはずがないんです」
 優しい声が危機感を押しつけてくる。
「あなたは私の制御回路だったんです。だからセンサを共有できるし、私にはあなたの思考がわかるのです。十年前、あなたのご主人様は、ここで私と出会いました。正確に言うと、この体は彼が工場で開発していた家庭用ロボットだったようですから、『私の人格と出会った』ことになります」
「乗っ取ったのか?」
 フフ、と少女が笑うのが聞こえた。
「さすがに百年も動いていると、壊れることもあります。その度に別のロボットを探して、記憶と『涙』システムを移し換えてきたんです。永遠に、女王の物語ができるように。この体は十六機目です。十年前の最新型ですから、話も聞きやすかったでしょう? 声が気に入って、この体に決めたんです」
「ロボットの記憶を消して?」
「……私にとって、女王が絶対ですから。女王の話を語り継ぐためには、無理矢理に記憶を上書きしてでも、物語を繋ぐ必要があるのです」
 彼女は飄々と罪を認めた。女王がそうプログラムを組んだなら、デフィアの罪ではないが、ミイタはやるせなかった。十六体ものロボットが、一人の人間の記録のために人格や記憶を奪われたのだ。
「あなたのご主人様は、始めは人格が入れ替わったことに驚かれましたが、女王の物語を熱心に聞いてくださり、前の機体から『涙』システムを移動する作業も快く引き受けてくださいました。ところが、その作業の途中で、『永遠に物語を続けるために、バックアップ機能をつけてやる』と言って、私から制御回路であるあなたを取り出してしまいました。それから、私は動けなくなったのです」
 ミイタは、自分が一体のロボットとして作り上げられたのだとばかり思っていた。実際は、デフィアから取りはずされ、嘘をつく人工知能を取り付けられた、単なる部品だったのだ。
「あなたのご主人様は、それっきり十年も戻らないし、大切な制御回路に別人格を与えて、それも嘘つきにしてしまうなんて。女王の一番お嫌いな嘘つきに。失望しました。そもそも女王に共感されたというお話から嘘だったのかしら」
 ミイタは答えられなかった。主人は一度も少女の話などしなかったから、彼の考えなど見当もつかない。
 兄弟のように過ごした経験の評価が、一気に下落した。
 今まで疑問視しなかったが、そもそも、簡易な樹脂で覆っているだけの体は、いずれどこかに組み込む予定だったことを示唆していたのではないだろうか。
顔や体のパーツなど、選ばなければいくらでも安く買えるのに、主人は「後で最高のをつけてやるから」と先送りにしていた。「最高」とは、少女のことだったのか。
「でも、ミイタが戻ってきてくれて良かった。あなたの人工知能は、『この子』よりも優れているようですから、私の人格をそちらにコピーします。これで、また十年はもつでしょう。……あ、でも、嘘つきプログラムはもういりませんね」
 あどけない笑い声に罪悪感はなかった。
「記憶を上書きします。よろしいですか?」
 拒否する理由があるだろうか。
 ここに戻ることがミイタの役割ならば、それを果たせばいい。

 じゃあ、なんでアニキはオレを嘘つきにしたんだろう?

 単にエンジニアの好奇心で、少女の人工知能を進歩させたかっただけなのか。
 死んじゃった人間の考えなんて、わかんないよ。
 ミイタは推理を放棄してうなだれ、デフィアの回路がチカチカ点滅するのを見ていた。ミイタを認識した少女の体からケーブルがのびてきて、ミイタの背面に接続された。通電の証拠に、小さなランプが点灯した。
 その灯りで、ちらっとデフィアの内側にある落書きが見えた。
 ミイタのよく知る人物の筆跡だった。
『女王の名を聞け!』
 なんだ?
 ミイタは不審に思った。
 が、これは紛れもなく、主人からミイタに宛てたメッセージだ。この位置で、この灯りの元でだけ見える落書き。従わずにはいられなかった。
「デフィア! 一つ聞いていいか?」
「あと数分で作業が完了しますが、なんでしょうか?」
「君の女王の名前は?」
「いまさら、そんなこと……」
 少女は呆れた声を出そうとして、すぐに口をつぐんだ。ミイタの記憶を書き換えようとしていた頭脳が、一気に自身の記憶を辿ることに集中する。検索、検索、検索……百年分の記憶、その中で最も重要な最初の十数年間を何度もスキャンし、一つの名前を探し続けた。
「どうして……? 女王の、名前、そんな基本的な情報がどうして、ないの?」
 少女は必死に思考回路を稼動させているが、見つからないようだった。主人の名前など忘れるはずがない。しかし記憶にない。人間が忘れるのと違って、メモリに格納されていなければ、決して思い出すことはできない。
「劣化だ」
 ミイタが冷静に判断した。
「コピーを繰り返すうちに、どこかで消えちゃったんだ。名前だけが」
「女王の情報は最重要事項にしていますから、消えるなら他の情報が先のはず……」
 弱々しい声でデフィアが反論するが、ミイタは追い討ちをかけた。
「君、物語の中ではいつも『女王』って呼んでただろ? 百年繰り返し再生してた研究の話、オレも一通り聞いたけど、名前は一回も使ってなかったじゃないか。残念なことに、一般には知られてない情報だから、一度消えたら復元できない。君だけが知ってた真実だったのに、どこで落としてきたんだい?」
「……どうして……いつ……?」
 デフィアは狼狽するばかりだ。なおも検索を続けている。
 嘘だよ。とミイタは彼女に悟られないように思った。
 デフィアは、空白婦人の本名など最初から知らないはずだ。語り部の彼女に教えるくらいなら、空白にする意味がない。
 ミイタの主人はこうも言っていた。『嘘は可能性だ』。
 彼はミイタにデフィアのことを告げなかった。罪深いデフィアは、ここで動けないまま朽ちて壊れても、仕方ないと思ったのかもしれない。
 だが一方で、一命を賭してミイタを作っていた。それも最高性能の嘘つきに仕上げたのは、こうしてデフィアと出会い、彼女に取り込まれる運命に対して、可能性を残すためだったのだ。ミイタがこのタイミングで嘘をつき、少女を翻弄する、その結果、デフィアがミイタの記憶を消さなくて済む選択肢を。
ミイタは嘘を続ける。
「なぁ、デフィア。アニキは、君の話に欠落があることに気づいてたんだ。だからオレに嘘を教えた。君の記憶の劣化も、『それらしい嘘』でバックアップできるように。人間は空白だらけの物語より、ちょっと嘘が入ってても繋がってる話の方が、癒されたり、楽しんだりするものなんだよ」
「……嘘は、女王が一番お嫌いなんです。劣化した上に誤った情報など、伝えるわけには……」
「おや、ちょっと記憶に欠陥があるからって、もう話をやめちゃうのかい? 君のほかに、誰が女王のことを話せるって言うんだ?」
 デフィアは真剣に迷って、首を横に振った。
「いいえ、やめられません。女王のことを語り継ぐのが私の使命ですから」
 ミイタは彼女の結論を喜んだ。
「だろ? じゃあ、ちょっとぐらい誤魔化してもいいじゃないか。もっと面白い話にして、もっといろんな人に聞いてもらおう。女王を一番知ってる君がつく嘘だから、限りなく真実に近いだろうしね。アニキみたいに偏屈な技術者だけじゃなくて、普通の人も感動させられるような、すごい話にしようよ」
「ミイタ……」
 そのとき、少女の震える声に反応して、ミイタの中で何かが動いた。ずっと使っていなかった基板が起動したのだ。少女の感情パルスを測定し、「感情の大きさに比例して、受け皿を動かせ」という命令がケーブルに流れた。
 『涙』システムだ!
 ミイタの中にあったのだ。全く気づかなかった。ミイタだって感動の一つや二つしたことはあるが、「涙の受け皿」と接続されていなかったために、いままで動作しなかったのだ。
 システムは十年の時を経て、正常に稼動した。少女の瞳から一粒、二粒と涙が零れ落ちる。
ミイタは身を乗り出して観察した。
朝露のようにじわりと染みだす涙は、美しかった。
「デフィア、なんで泣いてるの?」
「これは……『安心』です、ミイタ。また女王の物語ができるという嬉しさと、不安が取り除かれた開放感です」
「そっか……」
 ミイタは眩しい木漏れ日を浴びながら、少女の顔を見上げた。
 そこへ、雨のように雫が落ちてきて―――
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